続・「勉強の苦手さ」と「抽象的なものを理解する力」の関係

 前回、

 「抽象的なものを理解する能力の高低は人によって違う」
 「これが苦手だと勉強でつまずく場合も多い」

 という話をしました(https://tokyocare.jp/?p=2392)。今回は、そのような苦手さの「見過ごされやすさ」について述べます。

 前回述べた通り、「掃除や料理などの日常的な課題は問題なくできるけれど、英語の文法や数学の公式などの『抽象的なもの』の理解は苦手」という人は決して珍しくありません。
 そして、そのような苦手さを持つ人の「周りの人たち」が、こんなふうに誤解してしまう場合もよくあるかもしれません。

 「掃除や料理ができるのだから、勉強だって頑張ればすぐにできるだろう」

 つまり、掃除や料理などの日常的なスキルを身につけているのだから、「勉強して試験で良い点を取るスキル」も頑張れば難なく身につくだろう、という誤解です。

 周りからこのような誤解をされると、「その人にとってはかなり難しい内容の勉強を強制される」ということも起こりえます。例えば、英語の文法のような抽象的な概念の理解をかなり苦手とする人が、以下のようなことを周りから言われる、ということが起こりえます。

 「家事のやり方が理解できるのだから、簡単な英文法くらいは理解できるはずだ」
 「努力次第だから勉強を頑張りなさい」
 「理解できないのはやる気がないからだ」

 抽象的なものの理解が苦手な人が、その苦手さを見過ごされて「勉強ができないのはやる気の問題」と言われると、それはかなり強いストレスになるかもしれません。だから、人に勉強を教える立場の人は特に、「抽象的なものの理解が苦手な人もいるのだ」ということをちゃんと知っておく必要があるかと思います。

 なお当センターでは、必要に応じて、「抽象的なものの理解がどのくらい苦手か」の振り返りも行なって参ります。お困りの際はどうぞお電話くださいませ。

 ※ 本エッセイは継続的に更新されます。毎回、発達障害やそれに関連するお悩みをテーマとし、そのお悩みの理由や対処法を考える上で役立つ知識・考え方などをご紹介いたします。