多数派に合わせる技術自体が「悪い」わけではない

(前回の話(https://tokyocare.jp/?p=2319)の続きです)

 前々回〜前回にかけて、以下のような内容について述べてきました。

・ 発達障害のある人が、「多数派に合わせる練習」を過剰にやらされると、不安を感じやすくなる場合が多い
・ なぜなら、その過剰な練習によって、「自分の『少数派らしさ』は『悪いもの』なのだ」と思うようになる場合が多いから

 
 ただしこの話は、「多数派に合わせる練習などしない方がいいのだ」という話ではありません。そこは誤解しないでもらいたいと思います。

 「少数派らしさの肯定」はもちろん重要なことですが、もし発達障害のある人やその指導者(親や先生など)が「多数派に合わせる技術」自体をくだらないものと見なしてしまったら、それはそれで発達障害のある人が苦労する場合が多いです。

 例えば、前回も例示した「周りの人に話しかける技術」は、多数派に合わせる技術の一種です(「自分から相手に話しかけることをほとんどしない人」は珍しいからです)。当たり前の話ですが、このような技術がまったく身についていなければ、たいていの場合、人生のどこかでかなり苦労します。本人に悪気はなくても、周りから「誰とも関わろうとしない奇妙な人だ」と思われ、その結果「軽んじられる」・「仕事を任されにくくなる」といったデメリットが生じます。

 前々回〜前回の記事の趣旨は、あくまでも、

「多数派に合わせる技術は、〝処世術〟として身につけておけば役に立つ。ただし、多数派に合わせられる方が人間としてすぐれている、という思いこみにはとらわれない方がいい」

 というものです。筆者は、多数派に合わせる技術の〝処世術〟としての価値自体は、否定していません。

 以上の話は言いかえると、「ひたすら多数派に合わせようと頑張り続けるか、多数派に合わせるのをあきらめて奇抜な人生を送るか」の「極端な2択」で生き方を考えない方がいい、ということです。「〝処世〟のためにある程度は多数派に合わせたふるまい方をしつつも、自分の少数派らしさを出せる時間と場所も確保しておく」という、多数派と少数派のあいだを取る生き方も、選択肢としてあっていいはずです。

※ 本エッセイは継続的に更新されます。毎回、発達障害やそれに関連するお悩みをテーマとし、そのお悩みの理由や対処法を考える上で役立つ知識・考え方などをご紹介いたします。

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