続・発達障害のある人が不安を強めていく経緯

 (前回の話(https://tokyocare.jp/?p=2316)の続きです)

 「多数派に合わせる技術を学び、使う」ということは、「自分の『少数派らしさ』が出ないように抑える」ということでもあります。このため、発達障害のある人が親や先生などから、「少数派らしさを『いつも』抑えておくべき、というわけではないですよ」とはっきり伝えてもらえないと、「自分の少数派らしさは『悪いもの』なのだ」と思うようになることも珍しくありません。そしてその結果、次のような考えが浮かびやすくなる場合も多いです。

 「気をつけていないと、自分の特徴が抑えられずに、周りから悪く思われてしまう!」

 例えば、「人と話すことにあまり関心がなく、ひとりで過ごしたがる傾向が強い」という特徴のある子どもがいたとします。その子が、「周りの人に話しかける技術の練習」を過剰にやらされ続ける(そして「ひとりで過ごしたがる」というその子の「少数派らしさ」を肯定するようなことは誰も言ってくれない)と、その子は「自分の『ひとりを好む』という特徴は悪い特徴なんだ」と認識するかもしれません。
 その結果、「ひとりで黙っていたらダメな人だと思われる」という不安にいつもさいなまれるようになり、周りに人がいるときはいつも過剰に愛想よくふるまうようになる(だからいつも心が休まらなくなる)かもしれません。

 もしこの子の親や担任の先生などが、「多数派に合わせる技術も教えるけれど、この子の少数派らしさを思う存分出せる時間や場所も確保しようとする」といった関わり方をしていれば、この子は「自分の特徴は悪いものだ」と思わなくてすむかもしれません。例えば、もしこの子がひとりで本を読む時間を好む子なら、休日にひとりで図書館で過ごすことを勧めたり、没頭できそうな本をその子と一緒に探したり、といった関わり方が良いかもしれません。

 しかし親や先生などが、「少数派の方に行きすぎて、多数派に合わせられなくなったら、この子はとても苦労するんじゃないか?」という心配をしすぎるのもよくあることです。その心配ゆえに、親や先生が「よかれと思って」、多数派に合わせる練習ばかりを過剰にやらせようとするのもよくあることです。

 つまり、

 ・多数派に合わせる練習は一応「必要なこと」だから、「できればどんどんやらせた方がいい」と、親や先生などが張り切りすぎる
 ・その結果、練習ばかりやらされてきた発達障害のある人が、自分の少数派らしさに自信を持てなくなる

 このようなことが、発達障害のある人が不安を感じやすくなってゆく経緯として、かなり「ありがち」なのです。

 (この話は次回に続きます)

※ 本エッセイは継続的に更新されます。毎回、発達障害やそれに関連するお悩みをテーマとし、そのお悩みの理由や対処法を考える上で役立つ知識・考え方などをご紹介いたします。

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